2023年9月7日

『裸の大地 第二部 犬橇事始 』読了。

愛犬家にはいささかつらい本ではないだろうか。

かの地では「いぬ橇犬」は使役動物なのだ。決してペットではない。使役動物と付き合うのはこういうことなのだ、と自然に生きる者たちの厳しさを突きつけてくる。日本でもかつて馬搬が行われており馬橇が活躍した地域があったが、そこの馬と人間との付き合いを思い起こさせる。人間が生きるために使われる生きものたち。

動物のお医者さん』でも犬ぞりレースの描写があったけど、あれを数百万倍濃くしたような感じだ。個性が違う生きものの集団を、一つを目指してまとめるというのはいかに難しいことか。犬ぞりレースと異なり、北極圏では犬たちと、お互いに命を賭けた関係になる。

残酷と感じる人もいるだろう。しかし競馬うまはどうだ。むしろ単純に人間の娯楽のために使われ死なされる競馬の方がよほど残酷じゃないか。

 

本文のメインの話とは逸れるが、印象に残ったのは次の言葉。

 かけがえのない存在が突如、原因不明のままこの世から姿を消したとき、人はかならずその死の責任を誰かに押しつけようとする。そうしないと、死の無慈悲さ、理不尽さに耐えることができないからである。(352ページ)

この言葉のきっかけとなる出来事については、ネタバレになるので触れない。

全然関係ないことに結びつけるのはちょっと気が引けるが、関東大震災の流言飛語で朝鮮の方たちが虐殺された事件を思い出した。震災なので「原因不明」というわけではないが、大事なものを突然失う無慈悲さ、理不尽さに耐えられないからこその話ではないだろうか。そういう意味では私たちの誰もが直面する問題といえる。

 

自然や大地と真の意味で結びつきたい。角幡唯介の目指すものは至ってシンプルだ。しかし、それは家族を顧みるのであれば、期間限定の試みにしかならないのではないだろうか。自然や大地と真の意味で結びつく先に待っているのは、死の危険でもあるからだ。走れなくなった犬は役目を終えるが、人間はどうなのだろう。老いた人間は当地ではどう生きているのだろう?それ以前に、日本と北極圏を行ったり来たりする生活では、自然や大地と真の意味で結びついているとはいえないのではないか。北極圏に人生を委ねることでしか見えないものがあるのではないか?事実、北極圏に移住したいという希望もちらっと耳にしたような気もするが、どうなることだろうか。