2024年2月26日

四年生読み聞かせ。

こちらは、すっかり春!みたいな雰囲気から一変、寒の戻りで手袋が手放せない。ちょうどいいお話だ。昨年、三年生に読んだことがあったので、知ってる子もいるかなあと思ったが、よく聞いてくれていた。さすがもう五年生に上がるだけあって、聞く体勢もきまってる。

もっと気楽に聞いてくれてもいいのにって思う気持ちもあるけど、読み聞かせ講座の先生の、読み聞かせといえども、学校の場と時間をお借りしてやるんですから学習の一部なんですよ、という言葉が思い出される。授業と同じく、子供たちには「その場から離れる自由」はないでしょ?と。一方で授業と違って、ちゃんと聞いて何か自分の意見を考えておかないといけないみたいなプレッシャーはない。その場にいることは必要だけど、聞きたくなければ聞かない自由はあるのだ。

たしかに読み聞かせの時間は、学習の範疇に入るのかもしれないが、学校の先生がやるでもなく、授業という形態でもない。そんなあいまいな揺らぎの時間でもあると思う。たとえ耳に入らなくても一息つける時間になればいいかなと。週明け忙しないときにやるのは子供たちも落ち着かなくてどうなのかなと思ってたけど、月曜日だからこそゆっくりする時間が必要という学校側の考えなのかもしれない。

 

一方、斎藤惇夫のように“素人”の読み聞かせに手厳しい意見を持つ人もいる。子供の絵本について知識もなく、本を通して伝えたいこともないような人が、学校にズカズカ入って読み聞かせを披露するのはどうなのかと。素人の読み聞かせなんて、リズム音痴の自分が音楽を教えにいくようなもんだろ?と。

本来読み聞かせは担任の先生がやるべきだとおっしゃる。子供たちのいちばん身近にいる担任こそ、読み聞かせするのにふさわしい人だと。先生が懸命に選んだ本を、年間通して読み続けてくれるからこそ、子供たちは未来につながる読書体験をすることができるのだと。

そう言われるとぐうの音も出ないのだけど。