朝日新聞2023年6月14日付朝刊の、国際面「世界発2023」を読んだ。
モスクワの会社員アレクサンドルさんの話。
アレクサンドルさんは反政権派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏を支持するデモに参加するなど社会をよりよいものにしたいと行動してきた。
それだけに侵攻について「自分に直接の罪はない」と思う一方で、「ロシアに住む全員に責任がある」と苦悩している。
(中略)
「政府が『雨』を『雪』と呼べば、どう対応すればいいのでしょうか」
自分がもしウクライナ人だったら、ロシア人だったらと考えることがあるけれど、わたしがもしロシア人だったら、アレクサンドルさんと同じような考えを持つのではないか。
アレクサンドルさんはホワイトカラーで、比較的お金に困らないクラスだと思われる。
しかし一方で、貧しい地域に暮らしていたとしたらどうだろう。
20万ルーブル(約35万円)稼ぐのに2年かかる地域にいて、戦闘に参加すればそれを1ヶ月でもらえるとしたら?
自分が男で、家族を養っている立場だったら、戦争にいかないことができるだろうか?
「政権にとって、貧しい社会はとても便利なんです」
ウクライナがどこを奪還したとか、ロシアが避難民を攻撃しているとか、そういうニュースも大事だけど、遠い国の戦争だからこそ、私たちは小さき者たちの声を聞き続けることが大事なのではないか。聞けるのは遠い国にいる私たちしかないのだから。