2023年12月25日

↓高野さん×角幡唯介の対談に引かれて買ってしまった。

対談も良かったけど、他の記事もめちゃくちゃ面白かった。

冒頭の「傍らでいて」のコーナー。精神科でソーシャルワーカーをしている木暮明菜氏が語る言葉がなんともいえず心に残った。

自傷行為の痕がいくつも残る男性。木暮さんは相談室で彼と対話を重ねるうち、ふとした時、手足に残る赤黒い傷跡模様が、トラやネコみたいな縞模様に見えてきたというのだ。

それを彼女は惜しい、と言う。

ここが病院の相談室とかじゃなくてCATSを演ってる舞台袖だったなら。舞台に上がるよう彼の背中を押したのにと。

酷い傷跡は心の傷の深さでもある。それが動物の模様に見えたなんて不謹慎ではないか?彼女自身もそう思ったし、だからこそ何年も胸の奥にしまってきたという。

ただこう感じたことは、彼が自分の身体にナイフを入れるとき「痛みはない」と言っていたその世界に近づけたのではないかと。

きっと、何を言ってるのかわからないだろう。

でも彼女が書いたものを読んでみれば、ああ、うん、って気持ちになれるはずだ。どう言葉にしていいかわからないけど、小さくうなずく感じになると思う。あくまで大きくではなく小さく。

 

鈴木大介氏の「困りごとでつながる」がひらくフロンティア、の記事も良かった。

鈴木さんは41歳のとき脳梗塞を発症し、高次脳機能障害が残っている。パートナーである奥様は発達障害だったが無支援のまま成人し、二次障害を発症、精神科を受診してきた経歴をもつ。

鈴木さんが障害を負って困りごとができたとき、頼りになったのが妻だったという。妻こそが「先輩当事者」だったのだ!彼女が教えてくれたライフハックのおかげで、自分のライフハック開拓へとつなげることができたし、何よりも「できなくて当たり前」「しんどいよね」という共感が救いになったという。

妻は先天の当事者であり、いわゆる健常の状態を体感することはできない。しかし鈴木さんはいわゆる健常者として生きてきて途中で障害を負った身分だ。その自分にしかできないことがあるのではないかと。それは、健常の人たちに自分たちの置かれている状況の不自由さを伝え、両者をつなぐ役割を果たすことだ。

面白かったのは100均での買い物の話。

鈴木さんは、多種多様な商品がずらずら並ぶ100均のような店では、目的のものを探すのに混乱に陥ってしまうという。同じような特性を持つ妻は、特に混乱してない様子。

なぜ混乱しないのか?

なんと、目当ての商品を探す、という目的を早々に諦めてるのだという!

売り場をふらつきながら買い物を楽しむことを優先するというのだ。もちろんカゴには「目的外のどーでもいい商品」がどんどん増えていく。その中で目的のものに行き当たったらラッキーと。

時間内に目的のものを買うことを強いられれば、彼女は二次障害化する。

コスパだのタイパだのと効率を求められやすい今の時代、逆に豊かな生き方と言えるのではないだろうか。時代の風潮と逆行するのは、ものすごく生きづらい面があるだろうけれど。

 

メインディッシュたる「われらADHD探検隊」。

二人の対談は↓この本でも楽しく読んだことがあるので、期待たっぷり。

もう初っ端、対談場所の医学書院に行き着くところからネタになっている。

二人ともが、駅からたどり着くのに迷ってるのだ。

高野さんは行く途中、角幡唯介の本(『犬橇事始』2023年9月7日 - 非常階段生きもの日記)を集中して読んで考えてるうちに、乗り換えを間違ったり場所を通り過ぎたり。

角幡唯介は、地図を見ているのに読めてないという迷い方。曰く、

ネタは作らないように完璧に来ようと思ってきたんだけど……。

なのに、お約束どおりネタができてしまってる。

僕は自分ではADHDだと思ってないんですけど……。

というのが振るってる。

小さい頃は、ランドセルすら忘れて学校に向かうこともあったという角幡唯介だが、困っているという実感はなかったという。日常生活でしょっちゅう失敗して嫌になることはあっても、とくに気にしたことはなかったと。最近になってADHDという概念を知って、ようやく自分がそうではないかと思い始めたというのだ。

しかし本人は(それほど)困ってなくても、周囲が困ることがある。

講演会をダブルブッキングしてしまったというのだ。

一つは新著『犬橇事始』のプロモーションイベント。朝日新聞が企画した500人規模の大々的なイベントだ。参加者は抽選で募っている。

もう一つは地方の書店の、20人くらいを集めた講演会。しかしこちらは朝日のイベントが決まる以前、1年半くらい前からの約束だ。

致し方なく地方の書店に平謝りして中止してもらったという。

なんというか『手品師』を地でいく話ではないか。

www.tamagawa.jp

お話は「少年との約束を守る」という美しい結末になっているが、現実はこんなもんだ。だからこそのフィクションであり、道徳のお話ということになるのだろう。上記のサイトには、

さらにもう一つ、キレイゴトでは語れない現実が存在することも子供達に知らしめておく必要がある。この教材と同じことが実際に起きた場合、ほぼ間違いなく少年との約束は反故にされるだろう。なぜなら、大人は、約束には軽重があり別の日に埋め合わせのできる子供との軽い約束よりも、自身の一生を賭けたチャンスを得ることの方を優先すべきと功利的に考えることが一般的だからである。

なんてことも書かれてるけど、この場合だと、大新聞社のイベントと地方書店のイベントの約束に「軽重」があるということになってしまうわけで、現実の世知辛さはお話の比ではない。自分が地方書店の担当者だったら、マジで憤りを覚えることだろう。

まあこういうひどい話もさらけ出してしまえるところが、角幡唯介たる所以かもしれない。

高野さんの方はADHDだと自覚してるので、こんなことも言っている。

俺も自分がADHDだっていうことをわかってほしいんだけども、でも人がわかってくれると、自分が図に乗るっていうこともすぐわかる。だから適度に伝えておかないとね。

 

ところで二人ともが早大探検部出身で、角幡唯介などは探検を生業としているわけだが、道迷いとはどういうことか?迷ってたら探検などできないのでは?

そこはさすが医学書院の人も突っ込んでいて、角幡唯介の場合、地形図は完璧に読めるのだという。地形図を読む力はあるので、そこを確認し先の行動を予測することはできるらしい。街の地図は地形が中心ではなく、人口の構造物が基準になるので読めないということだろうか?

角幡唯介は地形の読みに神経が研ぎ澄まされるけれど、高野さんの場合、それが言語の方に発揮されるというのも面白かった。

二人とも、ジャンルは違えど未知の場所で活動するというのは共通している。

探検とは、予定調和の旅ではなく、不確定要素を見越した活動なのだ。

結果が見えてることに興味を持てない。段取りが嫌い。

ADHDの気質があるからこそ、できる活動なのだ。

もちろん、活動の場所に出かける上では段取りして準備もする。二人の本を読めばわかるが、決して行き当たりばったりで行動しているわけでははない。

しかしその場所で活動するというところでは、環境や状況に柔軟に合わせていくというスタイルなのだ。高野さんの場合は『イラク水滸伝』でいうところの「ブリコラージュ」、角幡唯介イヌイットとの交流で習得した「ナルホイヤ」の概念がそれに当たるだろうか。その場凌ぎというとイメージが良くないけど「今のことだけを考えて行動する」というのは、ともすれば先々のことまで考えて悩みがちな今の私たちにこそ、必要なことなんじゃないかと思えてくる。

先に紹介した鈴木さんの妻の、100均での買い物も思い出される。無理して探そうとしない、とりあえずその場に行って歩き回ってみる。環境や状況は変えられないのだから、自分がそこに合わせていくしかないのだ。自分の気質に合ったやり方で。

ドイツ文学者・横道誠×ノンフィクション作家・高野秀行対談(前編) 発達障害を持つ私たちは、いかにして混沌とした世界を再構築していくか|じんぶん堂

 

余談だが、この記事でAIタイトルアシストを使ってみたらどう出るかなと実験してみたところ。

「記事タイトル」や「検索エンジン向けタイトル」は明後日の方向に出てしまってとても使えなかったが「ソーシャルメディア向けタイトル」は近いところまで来た。

1回目↓

精神看護2024年1月号が画期的!発達障害当事者の声を探る #精神看護
衝撃の対話!精神科ソーシャルワーカーが見た赤黒い傷跡 #自傷行為
舞台袖の思考術が示す先々の悩みからの解放 #舞台ナルホイヤ

2回目↓

精神看護2024年1月号が話題! 高野さん×角幡唯介対談に注目 #精神看護
感動の言葉に心を揺さぶられる…木暮明菜氏の対話術 #言葉
舞台袖の魔法が私たちに教えるものとは? #舞台

この中でぴったりなものはまあ、

「精神看護2024年1月号が画期的!発達障害当事者の声を探る #精神看護」

「精神看護2024年1月号が話題! 高野さん×角幡唯介対談に注目 #精神看護」

のどちらかだろうね。